ヨハネスブルグの教訓:国連サミットの未来
レミ・パルメンティア
グリーンピース・インターナショナル政治部長
2002年9月10日
問題は大規模な国連サミットがこれ以上必要かどうかではなく会議の議事進行である、とグリーンピース代表団の一員としてヨハネスブルグ・サミットに参加した筆者は指摘する。筆者の提案は、国家元首・代表者はまず、会議の冒頭に議題を提示するための発言をするべきであるとしている。今回のサミットで交渉団は、国連と多国間協調の絆の弱体化を謀ったブッシュ政権に裏をかかれてしまったと指摘する。
もし仮に、アメリカ合衆国国務長官コリン・パウエルがサミットの締めくくりとしてではなく、開幕時に同じ強硬発言をしていたならば、サミットの結果は異なったものになっていたにちがいない。5分間の演説を通してパウエル長官は、多くの国の感情を逆撫でし、ブッシュ政権の環境と開発政策に対する他国の反発と怒りを数十倍に膨らませた。
パウエルが演説を始めた当初から、批難の声は会場後方部からだけではなく、各国代表団の間からも上がっていた。そして次第にほとんどの代表団がパウエルの発言に異議を唱えるまでに至った。もしあの時点で「ヨハネスブルグ・サミット実施計画」が採択されてしまっていなければ、アメリカが−特に気候変動の部門で際立っていたような−あれほどの成果を手にすることもなかっただろう。おそらく各国の交渉団も、2010年までに再生可能エネルギー比率を10%にまで高めるという目標をそう簡単に譲り渡すこともなかっただろう。
各国政府代表は、アメリカは気候変動問題を真摯に受け止めている、というパウエルの発言に対して怒りを露わにした。なぜなら彼らは知っていたからだ。アメリカが、あらゆる手段を使って京都議定書を死滅に追い込もうとし、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の弱体化を謀り、ブッシュの「代替案」なるものがつきつめてゆくとアメリカの温室効果ガスの排出許容量を30%も拡大するということ。アメリカの新たな提案は、温室効果ガスの排出を「危険な気候変動を回避する」レベルに維持することを定めた、アメリカ自らも調印している国連気候変動枠組み条約の義務に明らかに違反している。それだけではない。合衆国憲法は、批准された条約は国内法と同等の効力を持つと規定しているのである。
WTOにおける「自由貿易」をアメリカが推進する目的は、開発途上国がその恩恵を受けられるようにするためだとパウエルが発言したときは、各国代表団は再度自分たちの耳を疑った。昨年のドーハで開かれたWTO会議以来、アメリカは自国の農業補助金を増額しており、そのため開発途上国の農産物の流通をさらに阻害しているということを各国代表団は当然知っていたからである。昨年3月のモンテレー会議で合意された途上国への開発援助は、アメリカ国内の農業補助金の、6分の1の額に過ぎない。
そして遂に、各国代表団の堪忍袋の緒が切れたのは、パウエルがアメリカ政府の定義による「きちんとした政治体制」なるものがない国には、開発援助はしないと念を押したときだった。ブッシュ政権語録のなかの「きちんとした政治体制」とは、貿易自由化のことである。しかし、ブッシュ政権は自国内の補助金を増額することで、自らが掲げる貿易の自由という信条にも真っ向から矛盾している。多くの国はきちんとした政治体制の第1歩とは、まずなによりも国際法や国際合意を支持・尊重することからはじまるのだということを自覚している。公式に条約に調印しないという権利はどこの国にもある。しかし、最近の国際犯罪法廷と京都議定書に対してアメリカがとった行動の例にみてとれるように、強大な力を以って、条約に調印した国々を弱いものいじめすることがあってはならない。ヨハネスブルグ・サミットの議題のひとつとして提案された、企業責任確立のための国際的枠組み構築に対するアメリカの反対も、最近のエンロンやワールドコムの不正発覚を受けて企業責任について語ったジョージ・W・ブッシュの弁舌を考えると、政府自らが謳っている「きちんとした政治体制」に対する驚くべき違反である。
ヨハネスブルグ・サミットが閉幕した今、多くの人々は、あのようなサミットは毎回失敗に終わる運命にあり、結局は時間の無駄なのではないのかと自問している。この「時間の無駄」という言葉こそ、国連と多国間協調の絆の弱体化を謀っているアメリカが喜ぶ言葉である。現実には、今回のサミットは、持続可能な開発と環境問題を一般の人々に投げ返し、政治議題として再び命を吹き込み、更には持続性と環境に対するジョージ・ブッシュの対抗姿勢の実態を明らかにしたのである。昨年の9月11日からまだ1年足らずしか経っていないということを考慮すると、これだけでも一大成果である。ヨハネスブルグ実施計画から具体的な数値、期限目標が欠落しているにもかかわらず、気候変動問題と再生可能エネルギーが果たす未来への役割が今ほど際立ったことはない。EU、カリブ、南太平洋とうしょこく島嶼国など30カ国以上から構成される「やる気のある国家連合」(Coalition of willing)はサミットの閉幕に際して、独自の目標を掲げて再生可能エネルギーの比率を高め、国際的に推進してゆくことを誓約した。
しかし現実問題として、サミットの議事進行は考慮し直されなければならない。これまでは国家元首、政府代表者の演説は、官僚レベルから大臣へと長く続くプロセス(通常2年以上)の終着点、会議の閉幕にともなってなされるのが慣習であった。官僚も大臣も上司の到着に備えて、事前に根回しをし、合意を取り付けなければならないという圧力の下にあった。そのような慣行がもたらしたものは奈落の底への競争、至上命令としての妥協点模索−またの名を最小公約数−である。しかしそれよりも、国家元首・政府代表が会議冒頭で発言し、それを交渉団が追随するという方が理に適っていないだろうか。なんたって彼らはみんなの指導者なのだから。
ヨハネスブルグ・サミットの準備会合においてグリーンピースは、官僚・大臣ら、そして国家元首たちに対して志を下げてはならない、サミットの結果については高い理想を持つようにと要求した。アメリカが協調しなければ、それはそれでかまわない、ヨハネスブルグ・サミット実施計画文書策定にあたっては、率先してブッシュ政権の思惑に従って最小公約数に落ち着いてしまうよりも、アメリカがある条文に対して異議があるのであれば、アメリカに対して脚注への挿入(これは国際交渉においては、確立されている慣行である。)を要求するほうが得策であり、奈落の底にたむろする国は置き去りにすればいいと助言した。
しかし官僚も大臣たちも私たちの助言に耳を貸さなかった。アメリカの参加が重要なのだと彼らは主張した。独自の原則と目標を尊重するよりも。私たちは詳細な調査結果を提示し、アメリカは常に会議を最低レベルに引き下げるという戦略を用い、その目的が達成されるや否や、協調を崩して自分たちは無関係だと言って離れて行ってしまうのだと警告した。各国はそれでも私たちの警告に耳を貸さなかった。その結果、「実施計画」はアメリカの望んだ通りの悲惨な最小公約数の反映になってしまった。
それでもなお、アメリカ交渉団は9月4日の閉幕に際して、独自の「解釈声明」を読み上げた。要約するとその中身は、アメリカは実施計画に盛り込まれたいかなる決議にも拘束されないと考えているというものだった。実施計画文書の条文が貧弱な文言に変わったところでアメリカには関係なかった。ヨハネスブルグ・サミットにおけるアメリカの目的は単独行動主義の権利を主張することであり、譲歩によって勝ち得た成果などどうでもよかったのだ。
国際社会はこの教訓をしっかりと記憶に刻み、次のサミットでは奈落の底への争いはやめることを望む。はたしてチャンスはまた訪れるのだろうか。