ブッシュ大統領と「安全」と地球サミット
リオ・サミット10周年と9月11日の事件から1年を迎えて
レミ・パルメンティア
グリーンピース・インターナショナル政治部長
ホワイトハウスとアメリカ情報当局が9.11のテロ攻撃に関する情報を掴んでいながら、的確な対応をとることができなかったことについての新たな新聞報道を目にしない日はない。 あの日から11ヶ月経った今も、「安全」に関する議論は依然、過ちを犯した同じ狭い思考のなかで立ち往生したままであるように見える。
世界各地、特にアメリカにおいて、なぜいつまで経っても本当の平和が確立されないのかということに関して、多くの議論が重ねられてきたにも関わらず、相変わらずブッシュ大統領は問題の根源を突き止めようとするあらゆる真摯な取り組みを強固に拒絶している。 まことに摩訶不思議であると言うほかない。
昨年の9月11日に至るまでは各国の政府、コメンテーター共々、自然資源の不公平な分配と環境破壊によってもたらされる貧困こそが原理主義とテロリズムを生む温床である、ということに同意を見たはずであった。 多くの人々はあの日を境にしてアメリカの外交政策が方向転換し、それまでの一方的的主張を繰り返す孤立主義から脱却し、再び多国間協調へと回帰をするのではないかと予見した。 しかし、ジョージ・W.ブッシュはテロに対する世界戦争を布告した。 しかし、結局この「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」的アプローチは長持ちしなかった。 アフガニスタンなどの地で腕力にものをいわせてきたブッシュ政権は、8月26日に開幕を控えたヨハネルブルグ・地球サミットを骨抜きにしようとする妨害工作の攻勢も強化してきた。 事実アメリカ合衆国は、環境破壊や激化する貧困がもたらす問題への対策を討議する今回のサミットで、実行を義務づけられるような新たな具体的合意の一切を阻止するための極端な方策まで講じるようになり、10年前のリオ・サミットで合意し、アメリカも署名した公約さえも反故にしようとしている。
ブッシュ政権は自身が全世界に望んでいると執拗に唱えている「安全保障」を確立する機会を自ら率先して潰している。
ストックホルム(1972)とリオ(1993)の過去2回の国連環境会議で議長を務めたモリース・ストロングは最近、米上院委員会で次のように発言した。「持続型社会への方向転換が人類社会の将来にとって最も重要なことであるということは、9.11以降もそれ以前と変わりません。 あのような恐ろしい行為が示唆する不吉な意味が皆さんの最大の関心事であり、それにこだわる気持ちは理解しますし、また事実必要なことであると思いますが、しかし経済、環境、社会的持続性と安全保障への努力をあの事件によって停滞させてはいけません。」
ヨハネスブルグ・サミットでブッシュ大統領の代理を務めるとみられている米パウエル国務長官も、最新の国連環境計画の刊行する雑誌で次のように発言している。「持続的開発はもはや倫理、人道上の課題だ。安全保障の観点からの緊急課題でもある。貧困、環境の悪化、絶望という人間社会や国家を滅ぼすこの邪悪のトライアングルは、問題を抱えた国家を揺るがすだけでなく、複数の国家を巻き込んだ広い地域全体を不安定にする。」果たしてパウエル長官は有言実行が求められるサミットの壇上でこの言葉を繰り返すことができるか、見ものである。
アメリカ合衆国が根本的には自国の長期的な国益に真っ向から対立する自虐的姿勢をとり続けるのに対し、その他の世界各国がアメリカに立ち向かって指導力を発揮する勇気をもてるかどうかは、地球サミットを直前に控えた現在でも未知数である。 今回のサミットが環境破壊の撲滅と貧困の根絶のための対策を準備することができるかどうか、今はまだ白紙の状態である。 国連のアナン事務総長は7月17日に次にように語った。「1992年の地球サミット以降の進展は期待していたほど大きくはなかった。 何よりも甚大なのは、とられた措置が全く不十分だったということである。 ここで更なる後退を強いられるということになれば、それは千載一遇の好機を逸したという悲劇を生んでしまうということになる。」 今日残された課題はしたがって、アナン事務総長が憂慮する悲劇をいかに回避するかということだろう。 その答えは国際社会が今回のサミットでアメリカの一国主義を認めないことであり、莫大な自然資源を独り占めして蕩尽し、最強の国家であるがゆえに最大の環境汚染国であり続ける権利があるのだというアメリカのひとりよがりの思い込みを許さないことである。 多くの国々の貧困を継続させてまで自国の利益だけを何よりも優先する経済システムを守ろうとするアメリカの姿勢を拒否することである。 世界がアメリカと対決するのは何も今回が初めてではない。
確かに世界政治に対するアメリカの影響力というのは相変わらず強い。 しかし、近年になってその他各国はアメリカの反対に屈することなく国際法の体系を築きつつある。 アメリカ型非持続的消費スタイルと軍事主義による支配は、多国間協調と持続性への道を阻むものであるが、この傾向はアメリカの妨害に屈することなく、世界が協調して国際的な法秩序を構築してゆこうとする努力が実ってきているという希望の兆しでもある。
一番最近の例がアメリカの反対と妨害を押し切って設置された国際犯罪法廷である。 だが、国際犯罪法廷の例は、国際政治の場でアメリカは常に指導者であるという紋切り型で陳腐な観念が間違っているということを示すほんの一例にすぎない。
軍隊と企業の利益に先導されたアメリカの反対にもかかわらず、地球の70%を占める海洋は世界の共有財産であり、その保全は人類共通の責任であるということを定めた国連海洋法条約(UNCLOS)は、長い議論の末1982年に採択された。 アメリカが再び1994年にその発効を懸命に阻止しようとしたこの条約は、現在では普遍的な国際法として、アメリカを含み世界的に尊重されている。 対人地雷を禁止したオタワ条約もまた各国が1990年代に、人道的配慮をアメリカの軍事的利益よりも優先して議論を重ねた結果成立した国際法である。 まだある。 最近の国連児童保護条約、1996年のCTBT包括的核実験禁止条約などはアメリカとしても無視できない条約である。 たとえアメリカが公式に反対を表明しているとしても。
アメリカが自分たちの国だけあたかもべつの惑星であるかのような態度をとりつづけている間にも、環境分野における進展はみられる。 アメリカは、遺伝子技術の発達によって得られた有益な情報を途上国と共有せず独占しておきたい製薬会社やバイオ企業の圧力が強いため、1992年に国連で採択された生物多様性条約を批准していない。 しかしながら、この条約はアメリカの都合に関わりなく、ごく少数の非参加国を除いて、現在では地球上の生物を保護する共通の管理指針になっている。 ブラジルのリオデジャネイロで生物多様性条約が採択されてから8年後には「バイオセーフティに関するカルタヘナ議定書」が、アメリカとWTO(世界貿易機関)が反対の圧力をかけたにもかかわらず採択され、これによって各国は、遺伝子操作された農作物を拒否する権利を得た。 また、有害物質の越境移動を禁止する条約も、アメリカが反対するなか、1989年スイスのバーゼルにおいて採択され、裕福な国が途上国に有害な物質を廃棄することが禁じられた。 リオ・サミットの翌年の1993年には、老朽化した原子力潜水艦を海底に沈めて廃棄する選択肢を保持しておきたい海軍からの圧力があったが、アメリカは、放射性廃棄物の海洋投棄を国際的に禁止する条約を受け入れることを余儀なくされた。
京都議定書に対するアメリカの姿勢は現在でも様々な角度から語られている。 法的拘束力をもった温室効果ガス削減の数値基準を明文化した京都議定書はEUと日本が批准したことによって発効の日は近づいている。 アメリカが引き続き京都議定書を拒絶しつづけるのならばアメリカはまたしても敗北者になるだろう。
世界各国の国家元首がヨハネスブルグを訪れる準備をしているなか、ジョージ・W・ブッシュは気候変動が地球サミットの議題から削除されない限りヨハネスブルグには行かないと言っている。 これはとりたてて目新しい戦術ではない。 1992年当時の合衆国大統領で現大統領の父親のジョージ・H・W・ブッシュはリオ・サミットぎりぎりの4日前までサミットへの参加を拒んでいた。最終的に父ブッシュはサミットに参加し、気候変動枠組み条約に署名したが、皮肉にもそれを子ブッシュが無効化しようとしている。
気候変動と貧困の密接な関係は数多くの研究によって明確に立証されている。 世界最高峰の有識者で構成される国連のIPCC気候変動に関する政府間パネルが昨年発表した第3回アセスメント・レポートもその事実を報告している。 気候変動の最初の犠牲者となるのがなぜ途上国であるのかには、様々な理由があるが、主にそれらの国には、予防措置はおろか、そもそも洪水、旱魃などの異常気象災害に対応する充分な資金も技術力も備わっていないからである。 このような理由から幾つかの国は、2010年までに再生可能な代替エネルギーの比率を10%に引き上げるための大規模な国際的プログラムをヨハネスブルグで立ち上げることを提案している。 風力、太陽光、バイオマス、地熱、小規模水力などの再生可能エネルギーによって地球の気候を長期的に保全するために必要な革命をスタートさせようとしているのである。 それらの国々はまた、近代的なエネルギーへのアクセスのない貧困にあえぐ20億の人々にクリーンで手ごろな持続可能なエネルギーを供給することを提案している。 この提案は同時に、石油、石炭、原子力などの従来のエネルギー生産手段への政府援助を段階的に廃止することも義務づけている。 現在これら既存エネルギーに投入されている金額は年間2,500億から3,000億米ドルにも及んでいる。 石油、石炭、原子力産業によって支配されているブッシュ政権は当然この提案を「現実的ではない」とか「専横的だ」などと理由付けして潰しにかかることだろう。
しかし、アメリカが思い通りに地球サミットを操ったとしたら、その1週間後に控えている9.11の1周年はどうなってしまうだろう。 地球サミットは、2002年9月11日を控えた西側諸国が世界に対して、貧困と環境破壊がもたらす厄災と取り組む責任を真剣に受け止めており、開発途上国に対して10年前のリオで公約した技術と資金協力の義務を果たす意思があるという誠意を見せる絶好の機会である。 しかしもしヨハネスブルグで持つ国と持たざる国の格差を縮める具体的な案が何も示されないということになれば、9月11日のメモリアルは更なる憎悪、不満、シニシズムと絶望的な行動を培養する場所になってしまうだろう。
勿論、アメリカがヨハネスブルグにおいて真にグローバルな取り組みの一端を担うことは理想的であるが、ジョージ・ブッシュが来たくないというのであれば好きにすればいい。それによってヨハネスブルグは世界各国が協調を強め、指導力を発揮する場所になるかもしれない。
ヨハネスブルグ・サミットは当分の間、国連最大の会議になることだろう。もし金持ちの少数国が手ぶらで会議に臨み、貧しい国の代表者が何も得られないまま帰国してしまったとしたら、その代償を払うのは私たちすべてであり、私たちのすべての子孫である。ジョージ・W・ブッシュは多国間協調と国連の切り崩しに成功するかもしれないが、そうしたなら世界をより安全にすることには失敗することになるだろう。
オリジナル英文(PDFファイル)
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